奥沢 エル・パソ の 変遷
日本でのメキシコ料理
への思い入れを残して
帰国したルイス店長

 ルイスはメキシコの首都メキシコシティから南に車で1時間ほどのところ、気候の良い保養地クエルナバカから来た日系3世です。

 日本が好きで、美味しいメキシコ料理を食べてもらおうとやって来ました。 1991年の夏のことです。 メキシコ料理があまりなかった頃で、食材も思うように日本で手に入らず、メキシコから輸入して、1992年の3月にようやく開店しました。  ルイスは開店以来一生懸命で、時間を忘れて料理を作りました。 こだわりすぎで、メキシコでも今は作っていないコーンの粒を煮込んでつぶすという古来の方法でタコスの皮まで作っていました。

 タコスにしてもファーストフードの感覚ですが、実際にメキシコのタコスを作るとなるとすべて手作り、素材にも気を使わなければなりません。 強い香辛料を使うので、どんな材料でもわからないと思われますが、素材に敏感な料理なのです。 ルイスは生真面目で手を抜かないので、お客さんに料理を出すのが遅く怒られたこともあったようです。 時間のかかるタコスの皮でさえ注文を受けてから頑固に1枚1枚焼いていました。

 雑誌、テレビ、新聞にとり上げられたことも数多くありましたが、思ったようにはルイスのタコスが全国的に普及するまでにはいきませんでした。  東京世田谷の多摩川近くの小さなメキシコ料理店 エル・パソに開店から8年間働いて、家の事情もあり後ろ髪を引かれる思いで2000年2月末に帰国しました。

 エル・パソにいる間に、結婚して子供を2人もうけました。忙しいのに近所で子供と遊ぶ姿がよく見られました。 1月末でルイスのエル・パソは閉店することになっていましたので、その2ヶ月くらい前から連日お得意さんが集まってくれました。 ルイスに持たせるための記念に書き込んでもらおうとノートを置いたところ、ルイスと料理の思い出やルイスの帰国を惜しむ声が山ほど書いてありました。

 かなり遠くからのお客さんもいて、感激したのかある時ボソッとルイスがつぶやくのを聞いたことがあります。 みんながこんなに自分のことを気に掛けていてくれたとは思っても見なかったと。 こんなことでちょっと辛かったと思うけど、帰国の日にはいつもの笑顔で大きな声でみんな有り難うと言ってエル・パソを出ていきました。 
                                   
トウモロコシのやわらかい皮づくりに執念を燃やしつづけた
タコス探偵 鈴木店長


 後を引き継いだタコス探偵 鈴木店長はかねてから考えていた製法で、日本人にも合う皮を必死に研究しました。 しかし簡単にはいかず、コーンの香ばしいやわらかい皮が出来上がるまで試行錯誤でエルパソを6ヶ月間も休まなければならない事態になり、すっかりお客様にご迷惑をかけました。
 
 開店はしたものの皮にこだわるあまり、ルイスの時ほどの幅の広いメキシコ料理が出来ないので、絞り込んで金、土、日の3日間で営業をしていました。 それほど、練って、ちぎって、丸めて、延ばしてという手作業は厳しいものがありました。 そう、引き継いだ当初は2日間でした。 

 ぎこちなく始めて少し余裕が出て頃、お客様からのリクエストもあって、途中から3日間になったのですが、この辺のことはタコス探偵日記に詳しく書いてあります。  2004年の2月まで3年半続いたことになります。

 タコスが料理ではなく、具を入れて巻いて食べるという食べ方を言うのだと感じていて、せっかく好評をいただいているやわらかい皮に和洋中なんでも思いついた具を入れて、手軽に食べていただきたいという気持ちが日々強くなりました。

 代官山アドレスのイートインスペースでタコスを販売してみないかという話がフードマーケット 代官山タベルトから出たので、すぐに決断して2004年3月から出店して現在に至っているわけです。  タコスに絞って始めた代官山では常に新しい食材を具として考え、常に8種類ほどの具の中から選んでいただけるようにしています。

 メキシコの香辛料を豚肉に漬け込んだおなじみのパストールやアボカド、煮豆などのヘルシー系、さらに納豆とチーズなどもメニューに入って好評です。 どんなものを具にしようかとわくわくしている毎日です。 

 それにしても気になるのは奥沢エルパソです。 ルイスがきづいてきたrを受け継いでタコスの焼き方、タコスに合う具の開発、タコスの出し方などすべてに工夫が必要で、頭を悩ましている毎日です。


メキシコ生活18年の料理のベテランがエルパソに登場
マエストロ 高山店長


 新潟で娘がインターネット通販「アマノ食工房」でエルパソのタコスを購入したことがきっかけで、第2代鈴木店長とのメールでのやり取りの中、奥沢エルパソをやってくれるメキシコ料理の料理人を探しているとの情報をもらいました。
 
ここしばらく新潟で和食の指導をしておりましたが、もともとは24歳でメキシコに渡り、18年間滞在してメキシコ料理に打ち込んできました。 後半9年間はメキシコの京都といわれるメキシコ第2の都市、グアダラハラの「SUEHIRO DE MEXICO」で料理長を務めておりました。 そこでマエストロ(スペイン語で先生の意)と呼ばれておりました。

 常々「メキシコ料理はおいしくないから」という声を耳にするたび、「本当はおいしい料理なんだが」と残念に思っておりました。 縁あってエルパソの厨房に立つことになり、しばらくメキシコ料理から離れていて、いろいろな角度からメキシコ料理を見ることが出来ました。

 これがますます美味しいメキシコ料理をお客様にお出ししようという力になっていると思います。 幸い、エルパソにはコーンのやわらかい皮、トルティージャがあります。 鈴木店長からの皮の援軍で、料理のほうに専念できるので、大いに腕を振るって満足していただける料理を作っていきたいと思っております。